AG2Rの選手時代から取材をさせてもらって、とても気さくで優しい人でした。話しやすいので色々チーム内の話とか聞かせてもらっていました。
AG2R時代のニコラに聞いた話で記憶に残っているのは、ツール・ド・フランスでスピードメーターをつけてなかったので、どうしてつけてないの?って聞いたら、「走る気力を失ってしまうから」と言っていました。距離を知りたいときはイヤホンで聞くから、いいんだって事でした。独特な感覚があるんだな〜って思ったのを覚えています。
2004年サイスポのツールの別冊付録で記事を掲載しました。
ちなみにこの記事途中で切れてますが、得意なコースは?って質問に「グランパーじゃないけど、山は好き。それと太陽かな」って答えてます。
2006年にケスデパーニュに移籍してからも、チーム内でフランス語を話せる選手だったので、よく話を聞かせてもらってました。
AG2Rもケスデパーニュも私にとってはどちらも顔なじみのチームだったので、いろんな場所に出入りさせてもらって、こんな写真もありました!
2006年はペレイロがマイヨ・ジョーヌを獲得して、偶然マイヨを獲得した日に取材のためにケスデパーニュと同じ宿だったので、翌朝みんなで集合写真も撮ったなぁ。
ニコラの出身がトゥールーズの近くだったので、エキップアサダ時代に行ったキアンのクリテリウムには、兄弟で参加してました。
選手時代はアシストとして活躍していたので、特に目立った成績もなかったニコラでしたが、引退して2011年からチームスカイの監督になり、2013年のフルームのマイヨ・ジョーヌ獲得に貢献。その後も監督としてたくさんの勝利を重ね、一躍脚光を浴びていました。
2013年を最後に私がツール取材をしなくなったので、監督になってからニコラに取材する機会はあまりありませんでしたが、情報を得たいときは、ニコラを頼ればよかったのでとても心強い存在でした。
これからも自転車界で活躍すると思っていたし、また会う機会があると思っていたのにな。仲良かった選手が亡くなるのは、本当に悲しいです。ニコラ、天国に行くには早すぎるよ〜。